平成24年度 留学生だより(13)

ニンニョ・エスピナス(フィリピン)

沖縄で生まれた「空手」とは何か?

琉球大学 大学院  ザハルスキ・アンジェイ(ポーランド)

中国から沖縄に、沖縄から日本本土に、そして東京や大阪から世界に広まった武術。その武術は、元来「手」(ティー)と呼ばれ、1936年に「唐手」から「空手」に改称された。現在、全世界の空手家人口は約180ヶ国で約5千万人(うち国内約3百万人)。沖縄県内だけで390道場がある。

琉球大学の大学院生として空手の歴史を研究しているが、よくこのような質問をされる。「空手は何のためにあるか?」。この文章を通して、なるべく短く、分かりやすく、この質問にお答えしたい。

はじめに一つ言っておきたいこと、空手はスポーツではない。先ずこれを理解する必要がある。また、そこが一般的に勘違いされているところでもある。空手はスポーツではなくて、武術である。

この40年の間で、確かに空手の一部はスポーツ化した。そして、スポーツとして人気を集めた空手はそのために人口が増えたのも事実である。

しかし、元々空手は武術である。武術とスポーツは極端に違う。なぜなら、スポーツの目的は、とにかく相手に勝つことである。ところが武術や武道の目的は、相手に勝つことよりも、先ず己に勝つことが大事。相手と競争するよりも、己を磨くことに重点をおく。

 

また、空手の本来の目的は、自分自身の身を守ることである。つまり護身術を意味している。極端に言えば、相手には勝てなくても良い。自分の身を守ることができたら、それだけで良い。琉球王国で発展した空手には、チャンピオンを目指すことは一切必要がなかった。チャンピオンになりたい気持ちや相手を倒したい気持ちというのはエゴの気持ちである。空手家にはエゴが必要ない。むしろ、空手の修行を通してエゴを捨てる必要がある。それは真実を極めるための道である。武道とは真実を極める道である。

「空手に先手なし」という有名な言葉があり、その意味は、空手家は自分から攻撃しない。勿論、攻撃された場合は、自分を守るために空手の技を使う。それは正しい。しかし、自分から先に攻撃をしてはいけない。そこにスポーツとの大きな違いが生まれる。スポーツ空手の試合では誰も攻撃をしなければ、誰も勝つことが出来ない。それはスポーツのルールである。だから、スポーツ化した空手は、この武術のほんの一部だけである。重要な一部であるが、全てではない。武道としての空手はもっと大きなもので、もっと奥が深いものである。

先ほどの質問に戻ると「空手は何のためにあるか?」と聞かれると、私はいつもこのように答える。空手は、自分自身の鍛錬のため、そして自分の身を守るための武術である。空手は武道であって、スポーツではない。空手をすることによって、本当の自分を知ることが出来る。そして自分の長点と弱点を知ることによって、自分の心・技・体を鍛えることが出来る。従って、空手の稽古を通して自分を強くすることが出来る。肉体だけではなくて、己の心をも磨くことが出来る。そこに武道の意味がある。

以上のことは、日本本土で広まっているスポーツ空手よりも、沖縄伝統の武術の空手を通してより深く学ぶことが出来ると思い、私は東京で8年間空手の修行を続けた後、沖縄に移ることにした。そして沖縄で3年間暮らし、大学で空手歴史の研究をしながら、修行を続けていることに大満足している。 

沖縄を初めて訪れた留学生の皆さんも空手を体験してみませんか?

日本本土の空手でも沖縄伝統空手でも、どちらでも良い、空手を体験してみることを是非お勧めしたい。また、空手道場は流派で選ぶよりも、その道場の雰囲気とその先生のパーソナリティーで選ぶのをお勧めします。折角、日本に留学をしているのであれば、日本の伝統である空手に触れてみてはいかがでしょうか?