平成24年度 留学生だより(7)

陳 虹(中国)

留学生活の思い出

沖縄国際大学 陳 虹(中国)

皆さん、こんにちは。私は中国からまいりました陳虹と申します。現在沖縄国際大学総合文化学部英米言語文化学科の三年生です。沖縄に来て既に4年余りが経ちました。今思い出すと、本当に昨日のようです。

私の出身地は、中国の中では海外に行く人が最も多い福建省です。小さい時から私はいつか海外へ勉強しに行きたいなあと思っていました。高校を卒業して、おばさんに「いとこと一緒に沖縄へ留学行く?」と聞かれて沖縄にやって来ました。

沖縄に来る前、私は海外へ行った経験が一度もありませんでした。2008年4月に家族のもとをと離れて沖縄の旅を始めました。那覇空港に着いたとき、沖縄の空を見て自分の夢を必ず実現させると思っていました。

沖縄に来たばかりの頃、生活は結構大変でした。一番の問題は日本語を話せないことです。スーパーに行っても商品名が読めず、物を見ながら買い物しました。聞きたいことがあっても聞けませんでした。

私にとって一番辛いことはアルバイトを探すことでした。沖縄に来て一カ月後、日本語が分からないうちにすぐアルバイトを探し始めました。応募の電話も先輩がかけてくれました。始めのアルバイトの面接のとき、友達数名と一緒に行きました。みんな日本語が分からないので、面接も進められず店長がお店にいる中国人の先輩を呼んで通訳してくれました。この先輩の日本語はとても上手でした。あの時私は羨ましいと思いました。そして、アルバイトも運良く採用して頂けました。新人の場合、普通は「研修中」を書いている名札をつけますが、私が日本語をまだ話せないので、店長が私の名札に「私は中国からの留学生です。日本に来たばかりなので日本語まだ上手ではありません。よろしくお願いします!」と書きました。最初になんも思いませんでしたが、少し時間が経つと恥ずかしくなってしまいました。あのときから、早く日本語を上手に話せるようになろうと思いました。

そして、仕事中はできるだけ日本人とたくさん話して日本語を覚えます。日本のドラマもよく見ながら沢山の単語を覚えました。このように頑張り続けて自分も気つかずに日本語が上手になりました。

この四年間たくさんの人と出会って、様々な人生の経験ができ、友達もたくさん作りました。また、日本語教員の資格を取るため大学で様々なことを勉強して来ました。

今回の留学で分かったことは「運命を変えるのは自分が努力することだ」ということです。大学の生活もうすぐ終わりですが、「人生の道を美しく作りあげること」が私の信念です。これからも頑張っていきたいと思います。