平成22年度 留学生だより(9)

呉 蓮智(韓国)

有り難うございます

名桜大学 国際部 観光産業学科 観光産業専攻 4年次
呉 蓮智(韓国)

私は沖縄で留学した時間がもう4年が経ちました。沖縄で留学した4年間の時の中で様々なことが思い出になりました。

初めて家族と離れ、一人で生きて生き方を学んで、多様な国の人々に出会って友達になって一緒に生活を暮らしたことなど、忘れない思い出になりました。

しかし、打ち明けたら私はろくではない留学生活を続けました。高等学校を卒業したとたん、すぐ、沖縄の留学生活に入りました。最初はやる気満々で、精一杯努力しました。日本語の勉強も人と付き合うこともやる気を出して生きて行きました。

だが、どんなにやる気を出しても私が超えられない限界がありました。それは日本語でした。その時は日本に来たばかりだったので日本語ができなくて、できても短い単語しか言えませんでした。そして私の性格が引っ込み思案な性格なので人と付き合うことがなかなか難しいでした。特に日本人と付き合うことがむずかしかったと思います。日本語が今より、全然できませんでしたので、日本人と深く話すことができませんでした。日本人と話しても挨拶しか言えないぐらいでした。日本語ができないから笑われて、侮る人々もいました。私はその人々に傷つきました。そして一緒の国の人々にも傷つけて、傷つきました。

その結果、人間関係が飽きてしまって、人と付き合うことに怖がって、自信がなくなって人と付き合うことをあきらめました。他人から声をかけられても短い返事しかしなくて、友達になりましょうと言われても私はその人が信じられなくてつながりを続きませんでした。私は孤独な生活に縛られていました。

いつから私は孤独ばかりだった生活から少しずつ、離れていきていました。孤独な生活から離れられてくれたある人のおかげでした。

その人は私と同じクラスの人でした。私より年が一個上の人です。

その時も私はいつも一人ぼっちで授業もよく行きませんでした。授業にいったらその人は私にいつも声をかけてくれました。私が韓国人だからその人に、韓国のことをよく聞かれました。最初に私はその人に韓国のことを聞かれることがいやでした。“やはり韓国に興味があるから私に声をかけるんだ”と考えすぎました。

でもその人と話しながら韓国話ではなく、四方山話、恋愛話など、日本人と韓国人ではなく、人間と人間の話を続いていきました。その人が中国に留学した時も私のこと忘れずに時々、連絡してくれて、私のことを心配してくれました。それで私はその人のおかげで少しずつ、人間関係の怖がりから離れ、人との付き合いが前より、よくなっていきました。

今もその人といいつながりを続いています。その人が今、他国で留学をしているからたまに連絡しかとっていないですけど私のことを忘れずに連絡してくれることがとても有難いです。

そして人から傷ついていた私に勇気を出してくれたこともとても感謝しております。

私が卒業をして韓国に帰ってもその人とのつながりを一生、続きたいです。私は大勢のつながりを作りませんでしたけど、一人でも大切な人に出会って、沖縄で留学をしたことがよかったと思います。

これからも私にたくさんのつながりがあるべきだと思います。その大切なつながりを続くために周りの人にもこれから出会う人にも感謝して信じてあげたいです。人から信じられるよりも私から信じてあげることがとても大切だと思います。

もう少しある沖縄での留学生活を頑張っていきたくていいつながりを作っていきたいです。 最後に私と友達になってくれたその人にその言葉を言い伝えたいです。

“有り難うございます。”